僕は小学生の頃からメタルが好きな重度の厨二病メタルキッズだった



タイトルのとおり、僕は人生のわりと序盤でヤバい趣向に目覚めてしまいました。

そう、『ボーイ・ミーツ・ガール』ならぬ、『小学生・ミーツ・ヘヴィメタル』。
TRFもヘッドバンギングして踊り出すレベルです。

このおかげで思春期は誰とも音楽の話が合わず、分かち合えないまま色々とこじれた人間になってしまいました。しかし、その一方で自分のこだわりを強く持って、今ではそれが自分の強みにもなっています。

今回はそんな自分の音楽ルーツのスタートについて書いてみます。

メタルとの出会い

正直、これっていう明確なきっかけは思い出せないんですが、たぶんインターネットでCDをレビューしてる個人のサイトを見て興味を持ったのがスタートだった気がします。

僕自身はとくに音楽一家で育ったわけでもなく、両親や兄弟がメタルとか音楽好きだったというわけでもないので、身の回りの誰からも影響は受けてないです。

初めて自分で買ったCDはジャーマンメタルの雄『Helloween』



人生で初めて自分のおこづかいを貯めて買ったCDはHelloweenの『The Time Of The Oath』というアルバム。当時、小学校5年生くらいでした。

初めて聴いたときは身体中で鳥肌がブワッと立って、「世界にはめちゃくちゃカッコいい音楽がある!これはヤバい!!」と衝撃を受けました。

これもまた当時の新譜というわけでもなく、なぜこのアルバムを手に取ったのかもまったく記憶にないのですが...おぼろげな記憶から「もしかしたらこのサイトのレビューを見たせいだったかも」と思しきURLを貼っておきます。
参照リンク:
THE TIME OF THE OATH - この曲を聴け!

流行りに迎合できなかった

僕が小学生のころはYouTubeもサブスクのストリーミングサービスもないので、音楽と出会うのはテレビかラジオくらいしかありませんでした。

テレビで流れる音楽といえば当時はモーニング娘。や浜崎あゆみとかがめちゃくちゃ流行っていたころで、小学校のクラスメイトの口から出る音楽の話といったらみんなモー娘。とかあゆとか19とかの話ばっかりだった気がします。

あの頃、そういうものは「すべてクソ食らえ」と思っていました。

とにかく「流行っているもの」「みんなが好きなもの」が好きになれなくて、誰も聴いてないようなデンジャラスな音楽にハマってるのがクールだと思ってたような記憶があります。

そうです、小学生にしてすでにかなりキツめの厨二病が発症していました。
ここからが暗黒時代の始まりです。

メタルでしか歓びを感じられない呪い



小学校から中学校に上がっても当然メタル熱は続き、スラッシュメタルの四天王Metallicaの名盤『Master Of Puppets』にハマります。
13才くらいの頃はおこづかいにだいぶ限りがあったので、こういう有名なアルバムは近所のレンタルショップで借りていました。



あと、小中学生の頃はジャーマンメタルの神であるカイ・ハンセン率いるGammaRayにもめちゃくちゃハマりました。特に『No World Order』というアルバムが大好きでした。

のちにK-1のテーマ曲になって「俺はアルバムリリース直後から買って聴いてたぜ」とムダに誇らしげな気持ちでいっぱいでした。

こんな中二病こじらせ患者の僕でも多少は友達はいたのですが『音楽の話がまわりと合わない』ということが後からじわじわと効いてきます。

音楽の話が人と合わない

中学生ぐらいにもなれば、音楽に目覚めるやつが少しずつ登場してきます。これは盲点でした。もともと周りとは音楽の話は合わなかったけど、音楽好きな奴がそもそもいないからそんなに困ることはなかったんです。

当時よく遊んでいた友だちの多くが『流派-R』というヒップホップの深夜番組にハマって、ダボダボのB-BOYファッションに身を包み、キングギドラやDS455、SNOOP DOGやNASなどの音楽にハマっていきました。

ここから一気に世の中はHIPHOPやダンスホールレゲエ全盛期。

友達の家に遊びに行けばHIPHOP爆音で流して「このラップがカッコいい」「このMCが誰とモメてる」みたいな話で盛り上がっているような感じでした。


流派Rでヒップホップにハマった友だちがいたんですよ〜!
なぁ〜にぃ〜?やっちまったな!!
男は黙って!ヘヴィーメタル!!!!!


僕の中のクールポコはそう叫び続けていましたが、だからと言ってどうなるわけでもない。まさにクールポコ状態でした。

クールポコ状態とは:
なにかを、やっちまった(やらかしてしまった)時の状態である。
クールポコ状態とは (ヤッチマッタナジョウタイとは) [単語記事] - ニコニコ大百科







カッコいいギターリフとツーバスが世界を救う。
クッソ速いテンポ、ザクザクしたギター、泣きのメロディーこそ至高...!
そうして僕はまわりの友だちがイマドキのB-BOYに目覚めていくなか、僕はただ一人メタルを聴き続けていました。

ギターを始めてみる

中学2年くらいの頃、「もしかしてギターできるようになったらモテるんじゃね?」と下心を持つようになった僕は幼少期からずっと貯めていたお年玉でギターを買いました。

すでにDTMを始めていたこともあって、「ちょっと練習すればいい感じになるだろう」くらいに思っていたのです。

参照記事:
ぼくは小学生のころからDTMに手を染めてしまったオタクでした - SAKUMAMATATA



教則本を買ってSmoke On The WaterやCrazy Trainなど往年の名曲のイントロのギターリフがなんとなく弾けるようになると、これは楽勝だな...と思い始めました。
すぐに「古い曲じゃなくてイケイケのメタルが弾きたい!」と思うようになるわけです。



しかし、その希望は圧倒的アレキシ・ライホの前に崩れ去ります。

Children Of Bodomに限らず、メタルのギタリストはもれなく超絶テクニカルなので、そんなカンタンにササッと弾けるほど甘くないということをまざまざと思い知らされました。。

結果的にはこのあと高校生になってメロコアやパンクにもハマって、バンドではそういう音楽をプレイするようになりました。弾くのカンタンだから。。

DTMメタラーの逆襲

高校から10年くらいずっとパンクバンドをやったけど、いろいろあって活動をやめてから一人で出来る音楽活動(DTM)に専念するようになりました。

いろんなジャンルの曲を雑多に作ってはSoundCloudやYouTubeに載せたりしてるうちに、ある曲が注目を集めるようになったのです。



そう、メタルです。
厳密には「ネタ+メタル」ですが、結果的に自分のルーツである『DTM』と『メタル』が組み合わさって独自の進化を遂げたことで100万再生を達成することができたのでした。





その後も100万回や50万回再生超えの曲をいくつも作ることができました。

さらにネタ+メタルで一定の人気が集まったことで、オリジナルのメタル系楽曲も再生数が伸びて一定の属性のファンが増えました。

ルーツが活きるとき

基本的にジャンルを絞らずその時の気分で曲を作ることが多いんだけど、ルーツにメタルがあるので自然とそういう曲の方がサクッと作れることもあって結果的に作品の比率はかなりメタル寄り。

こういうジャンルって例えばオーディオストックみたいな市場では非常に売れにくいし、バンドとしてやってるわけでもないのでライブもしないし、なにかと仕事につながりにくいジャンル・活動方法なんだけど、YouTubeみたいなプラットフォームであればこれを活かせる道があるというのは完全に目からウロコでした。

水を得た魚ならぬ、YouTubeを得たメタルDTMerです。優勝。

おわりに

ちなみに僕のチャンネルは視聴者層がかなり若いので、着々と若い子たちにもメタルに慣れ親しんでもらって世界の素晴らしいメタルへの第一歩となることで将来のメタルヘッズを仕込んでいきたいという野望もあります。笑

僕自身、子供の頃はまわりと話が合わなかったし、中高生になっても友だちと音楽の趣味が合わず気恥ずかしい思いをした時期もあったけど、今では自分のアイデンティティーの一部であると誇りを持っています。

メタルが好きでよかった!

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